今日は8月15日、戦後80年を迎えました。
ここ長岡でも8月1日22:30頃から2日0:10頃まで、実に1時間40分にわたり空襲を受け、約1480名の市民が亡くなりました。
私が住職を務める寺も本堂は全焼、庫裏の一部だけが焼け残りました。幸い私の父(当時は生後6か月)を含む家族は、近くを流れる栖吉川の土手まで逃げて助かったため、私は今、存在します。
おかげさまで日本はこの80年間、戦争をせずにやってきました。
しかし、最近は核武装をした方がコスパが良いなど、先人たちが必至で守ってきた非核を簡単に否定する参議院選挙候補者もおり、こともあろうに有権者は当選させてしまいました。
今年の広島原爆の日での湯崎広島県知事のスピーチの抜粋です。
「…自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。…
…国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。
国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類 も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。…」
この時期に様々なメディアで目にするあの広島や長崎の大きなきのこ雲。あの雲の下では何万、何十万人という人々が犠牲となったのです。あの雲の下には、私の家族が、私の大切なひとが、いや私自身がいたとしたら。想像してみましょう。
仏説無量寿経に「国豊民安 兵戈無用(こくぶみんあん ひょうがむよう)」(人々のこころは、豊かに安らかであり、兵士や武器を全く必要としない世界)とあります。
平和をもたらすために強大な武器を持つのではなく、平和を維持するためにむしろ武器は必要ないのです。
戦争になれば、一番犠牲となるのは軍隊ではなく子どもたちです。
たとえ時間や労力、コストがかかっても、皆で知恵を絞り、話し合いで解決することこそが、こどもたちの未来を守ることになるのです。